社会のルールを知ったトキ

株式投資やマネー記事が中心、たまに女子アナについて徒然と

排泄物に対する感情の違いについて綴ろうと思う

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汚い話です。

非常に申し訳ない。あらかじめご了承いただきたい。

 

 

今回このブログという媒体を借りて、非常にしょーもない話を綴りたい。

排泄物について。

 

と、いうのも、先日会社のトイレで用を足した。

大きいほうである。

 

私は習慣として自分が排泄した物の形をチェックするクセがある。

若いころは牧場で競走馬を育成してきた。

要は馬を飼育していたのだ。

 

動物の健康をチェックするうえで欠かせないのが排泄物の状態である。

 

形・色。

それはかなり重要であり、下痢になっていないか。

うさぎの糞のようにボロボロとした形状であれば便秘といえるだろうし。

色も赤みがかかっていたり、黒ずんでいると腸の状態としては悪い。

 

そんなわけで自分が排泄したブツをチェックすると、それはもう見事な一本糞だった。

とても立派な太さであり、長い…。

 

何故だか感動した私に、このブツを記念に写真にとっておきたいという謎の衝動が起こった。

しかしそこはトイレである。

シャッター音が鳴り響くのはあまりにも不自然だし、何よりその撮ったブツの写真をどうするというのだ?

 

誰かに見せる?

後から見返す?

 

それはない。

そんなことを考えた私は、泣く泣くスイッチを押し、排泄物を下水に流し込んだ。

 

 

後から思い返すと、他人の排泄物であれば醜く、状態を確認するというのにも抵抗がある。

これが自分の物であったり、動物の物であると、なぜ平気なのだろうか。

思えば髪の毛もそうである。

風呂場などで自分の髪の毛が落ちていても、特に気にも留めない。

 

これが温泉などで他人の髪の毛が落ちていると、こうはならない。

裸足で触れるのには非常に抵抗がある。

 

しかし、成分としてはただのタンパク質なので、他人のものだろうが自分の物だろうが同じはずである。

鼻くそや耳くそなどでも、同じことが生じるのであろう。

 

 

そういえば、母親は子どもの鼻水を口で吸い出すと聞いたことがある。

これは自分の鼻水でなくても、愛する我が子の鼻水であるため、抵抗なく行えるのであろう。

要は、愛か。

 

おむつを取り替えるにしても、我が子のものなら抵抗はない。

しっくりくる。

 

結局何が言いたいのか自分でもわからなくなってきた。

休日の昼下がり、スタバでまったりしながらいったい私は何を書いているんだろう。

 

偶然、スタバで職場の同僚と出くわして、少しの間歓談したのだがその最中にこの記事を書いていた。

まさか彼も私がこんなしょーもない記事を書いていたとは想像もしなかっただろう。

 

たまにはこんな休日もいいかな、と思う私であった。